tmp大学講座:講師/t.m.p Islands 国王
c o n t e n t s
12 最初に最後を想う
11 少年よ ギターを抱け! Shonenyo Gita-wo idake !
10 ある技術屋の憂鬱と願い
9 たまには楽器にまつわる話でもしましょうか・・
8 2004年の歩き方
7 プロフェッショナル魂
6 DNA
5 夏の想い出
4 災い転じて道となり ( on the Beach)
3 脳ミソちゃん
2 あれって、どーだったんだろ? 幻の「大陸ひとつ説」
1 日本人は音に無関心?
 
日本人は音に無関心?
 実は・・欧米人の音楽関係者の間では「日本人って、耳悪いよね〜」って密かに言われてます。
 それに対して「えっ!そんなことないよ〜」って言ってるのは実は日本人だけなんですね〜
 たぶん、そんなことを言われていることもご存じない方が多いのではないでしょうか?
   
 語学関係者に言わせると何やら母音子音の言語構成の違いから来るものが要因として聴き取りにくい音が欧米人に比べて多い・・うんぬんかんぬんと理由があるようですが、わたくしは「日本人って、耳悪いよね」に対して残念ながら「そのとーりです」と言わざるを得ないと感じているから認めている訳なのですが、「じゃあ、なぜ耳が悪いのか?」と自分なりに考えてみた結果、耳が悪いと言うより「音に無関心な民族」なのだと
結論づけています。
 勿論、すべて私の持論の域での話ですが、我々はご存じの如く「島国民族」です。そして「農耕民族」でもあります。この日本のロケーションと民族性は大陸上の多種民族、なかでも狩猟民族とは圧倒的な特質の違いを生みだしたと思われます。今回は主に「音」に関してですが、島国であり、単一民族であり、農耕民族である我々は、長い間他国から侵略されることもなく、巡る四季に合わせて農作物を育てて暮らしてきた定住型の民族です。これが大陸内の国家であれば他国の侵略に絶えず緊張を強いられていたでしょうし、いやがおうにも異文化との交流が生まれていた事でしょう。戦いに敗れれば国を追われもしたでしょう。
 でも我が国は実に長い間自国の文化のみで生活をして参ったわけです。その結果、私はこう考えました。

1)日本人は他国・他民族に襲われる危機感をあまり味わってきていない為「物音」に対する緊張感がない。
 これが狩猟民族だったら獲物を追っての移動の生活が多いわけですから野宿生活だって多いわけで、獣に襲われる可能性も異動先の敵との戦いだって多いわけです。当然「物音」に対して反応が鈍かったら命取りですから「耳」の良さ、「音」に対する集中力は当然高まるでしょう。

2)島国の為、他国語に触れる機会が殆ど無かった。その為に「音」「発音」に対して鈍い。
 我々が、単一民族で同言語民族とは言え、地方によって方言や訛りは現代でも存在してます。でも日本民族は移動した戦をしたと言っても殆どが同じ民族内でのこと。ところがコレが大陸内でのことであれば、何かを伝えるにも相手は他民族で他国語を話しますから自国が繁栄するためにも他国と争いを避け協調するためにも言語の理解は重要です。話せない、理解できない、では多くの犠牲を生みますから相手の言語や発する「声」に対する集中力も島国/単一民族である我々の比ではなかったはずです。

3)生活スペースの狭さがいっそう音に対する集中力を削ぐ。
 日本人は太古からずっと農耕民族です。所詮近代文明化などはつい最近のお話です。長い間、季節ごとに日本人の仕事は決まっていました。田植えの季節、稲刈りの季節と隣近所もやることは同じです。基本的に日々の暮らしは大きな変化が少ないものだったと思われます。その上、隣の家だってすぐ近くですし、ましてや家の中は家族が同じ部屋で暮らして来ました。話をするにもデカイ声を出す必要もなく、逆に互いに少々の物音を気にしていては狭い暮らしでは気が休まりません。ですから極論的には物音に対しては無神経である必要があったはずです。事実、未だに我々日本人の家屋は狭く、隣近所に気遣い無しではいられませんよね。
 これが狩猟民族でしたら誰かに襲われる危険も高く、反対に誰かの領地を襲って自分の領土を広げていく必要もあったでしょう。そしてそれは夜の夜中にも行われた事でしょうから夜でも「目と耳」に集中する機会も多いわけです。となれば暗い夜でも目が利くように瞳も光を集めやすい明るい色である必要があります。広い大地でいち早く敵や獲物を発見するのに適した目の色や背丈の高さ、日中では瞳が明るいが故にまぶしさを少しでも避けるために彫りの深い顔の作りになったと考えられます。
 また移動手段が馬が多かったでしょうから馬の背中で安定のいい小さな頭と長い手足となり、狩りをするにも他民族と争うにも力強い筋力と瞬発力は欠かせないでしょう。そして広い大地でコミュニケーションする為には大きな声を出せる必要もあったでしょう。となれば当然声量も豊かになったでしょう。このように長い歴史の中で民族性や生活環境の違いが肉体的な特徴差も形成していったと思われます。
 また余談ですが、日本人はすぐブームに飛びつきます。単一民族性なのか皆と同じものを好みますから、○○ブームなんてのがしょっちゅう存在してますよね。そこが無個性的な民族とも言われてきた所以でしょう。ショップで「今売れてます!」って表示があると、つい安心して買ってしまう・・みなさんはいかがですか?
 またアメリカの様に多種多様な民族で成り立っているエリアでは自己主張しなければ目立ちませんし個性的である必要性が高まるでしょう。そこがオリジナリティ誕生の素養を生んでいると思われます。
 
教訓:我々は未だに農耕民族なのである。
あれって、どーだったんだろ?  幻の「大陸ひとつ説」
 私が小学校の4年生?だったと思うので、たぶん1965〜6年くらいの話なんですが、確か夏休みの社会の宿題での自由課題のことだったと思います。僕は学校で使っている世界地図を見ていて「んんっ?」ってあることに気づいたんです。幼い頃からモノの形に興味を持っていたマツシタ少年は世界の各大陸の形が「なんだかひとつになりそうだなあ〜」と直感的に思ったんでしょうね。それでそのことを確かめるためにハサミで世界地図を各大陸ごとに切り抜いたんです。
 そして各大陸パーツを別な白い大きめの紙の上に並べてパズルの様に組み合わせて行ったんです。
すると、みごとに各大陸ごとのパーツが一体化出来たのです。「うへ〜!やーっぱりそうだっ!思ったとーり大陸はひとつだったんだ!」たぶんそんなふうに一人で大はしゃぎしたんだと思います。それから次にやったのは繋がった大陸が元々ひとつだったのなら、つなぎ合わせた部分の地質や植物分布も共通点があるはずだ、と仮説を立ててそれを調べてみたんです。
 すると・・やりました!みごとに地質やかつての植物分布上でも「大陸はひとつ」説を裏付ける事実がたくさん出てきたんですね。もうマツシタ君は今で言う「ゲッツ!」状態ですね、もう大得意になって夏休み明けの社会科の授業で発表したんです。確か、担任の先生は女の先生だったと記憶してます。
 で、その結果!「マツシタくんっ!・・・た、大切な地図をこんなにしちゃってダメでしょっ!購買部へいって新しい地図を買ってらっしゃい!」おおかた、こんな反応だったと記憶してます。
 よーするに先生の評価は「ゼロ!」「モノを大切にしないバカぼうず!」ってな感じで、肝心な内容に関しては無評価でした。クラスメイトの反応も 「は〜あ?・・・・」「クスクス・・や〜い怒られてらあ!」
みたいな感じだったように思います。
 当のマツシタ君は「ぐっわっ!・・」もうガ〜ックリ。その日、家に帰って母親に新しい地図帳を買うお金、たしか¥1400くらいを貰ったような気がしますが、それ以来、地図帳は二度と開かなかったように記憶してます。
 そして時は流れ、マツシタ少年は小学校の高学年に(もしかすると中学生だったかも知れません・・)あれ以来、勉学に励むべき価値や意味をま〜ったく失い、遊び1本ヤリの人生に突入致しました。連日自分の父親よりも帰宅が遅い始末。わははー。
 ところがある日、教科書の改訂があってマツシタ少年は唖然とします。例の社会の教科書の中で「大陸移動説」ってのが定説化し、各大陸が元々は巨大な大陸であって、その後流動的に移動を重ねて現在の大陸分布になったと思われる、と堂々とその解説が載っているじゃーありませんか!
「げっ!・・」何年も前に自分が気づいたことが、実は一般常識化されていない事だったんだ!と初めてその時に知った訳です。
 今やそのマツシタ少年はあと数年で50になろうとしています。(知能は殆ど進化してません)
そのマツシタくんは未だに遠き少年時代のあの一件が本当に記憶通りのことだったのかな〜と、時々思ったりしています。単に、わたくしが無知なだけかもしれません・・まあ、歴史を調べれば判るんでしょうが、自分の中では1965〜6年に発表したマツシタくんの「大陸はひとつ」説こそ、世界初である!と思っているのであります。わははー。でも実際はどうなんでしょーねえ??
   ほんとにそうだったら結構スゴイでしょ? お時間にゆとりがある方、調べてくださいますう?
とにかく、自分の人生の中では記憶に残る事件であったことは確かでございます。思えばあれ以降、僕は誰かに何かを教わる、という行為行動が苦手になりましたね。「先生、なんでそれが正しいって言えるの?」
 てな、感じです。でも考えたら「もっと別なやり方や考え方だってあるはず」っていう多面的発想はそこから自分の中に根付いていったように思います。 「常識に捕らわれず、わからないことは試してみよう!」と言う私のスタイルは今でも変わりません。そのお陰で、サークル・フレッティングやクンエン処理、独自なスピーカーなど、これまでの様々なオリジナルな発想に繋がったのだと思います。
 その意味ではビタ〜な想い出にも感謝感謝です。人生に無駄はなし。
教訓:常識とは時代により変化するものである!
3
脳ミソちゃん
   皆さん、知ってます? 天才と言われたアインシュタイン(あい〜んシュタインではない)ですら、死後に脳細胞の使用度?活用率?・・要はどのくらい脳みそを使ったかという割合ですが、たかだか20%代だったらしいです。確かTVの番組で学者先生がこの話をしていたのを高校生の頃に見たのですが、とにかくそれを聞いて私は「そんなバカな・・」と、たいへんなショックを受けたものです。
 その事実自体にショックを受けたこともさることながら、私はその話を淡々と語る学者さんにもショックを受けました。なぜなら彼は、かのアインシュタインですら脳みそ全体の1/4しか使ってなかったと言う事実を単に伝えていただけだったからです。
 生意気盛りの私は「こいつ・・バカだな〜」失礼ながら、当時そう思いました。
 私にしてみれば、天才と言われた人間でさえ全体の1/4しか脳細胞を活用できなかったのなら、そこから導き出される最大の論点、注目点は「じゃあ、なぜ人間はそこまでしか脳を活用できないでいるのか」「活用率を上げるにはどうしたらよいのか」「100%活用した場合の人間にはどんな可能性があるのか」と言う点に尽きると感じたからです。進化の過程において今や無駄な臓器は盲腸ぐらいだと聞いていますが、全体の1/4しか使わない脳の為にデカイ頭を支え続けていることの方がよっぽど無駄で非効率的ですよね。
 使えきれない脳を備え続けている・・これこそ人体の最大の謎だ・・そう思ったのです。
いったい何の為に・・そう考えているウチに導き出されたマツシタくん特有の独断的結論、それは「まだ人類はワカゾー(若造)に過ぎない!」です。まあ当時高校生だった私の勝手な仮説ですよ、勿論。でも、実は私にとっては未だに変わらぬ持論でもあります。(笑うなら笑え!わはは)
◇人間は未だ進化の途中であり、その現在の進化度合いは20〜25%程度のなのではなかろーか?
◇脳の活用度からすると人間の最終寿命は今後現在の約4〜5倍の300才以上まで延びる可能性がある。
◇人類のこれまでの文化的な営みが形成された歴史を約2000年とすると、その5倍、1万年近くまで人類
 はそれを維持できる可能性を秘めている。 
と、まあ高校生だったマツシタ君はこんな具合に考えたのでした。そして恐ろしいことに「可能性に満ちた仮説」だったと、未だに自分で思っているわけです。(どーだ、呆れたか?)
 そしてオジンになった今の私にはもうひとつ持論があります。
「人間が実現可能だと想像できることは、いずれ実現出来る」というものです。
いつか人類は月に到達できるはずだ、と考え、その信念を抱き研究し続けた結果、人類は見事「月」に到達したわけです。そして今や火星に降り立つぞ!と意気込んでいる訳ですから、もうあとは時間の問題でしょう。
 しかし現在人類は創造性や文明科学の発展と共に反面いろいろな意味あるものを失いつつあります。
その最大の損失はたぶん「こころ」なんではないでしょうか?例えば、人間の「こころ」が人類に寄与するものとして生みだした「核」は「破壊兵器」にと姿を変え処分するにも困るほど地球上に存在させてしまいました。何度も人類を破滅させるだけの量を作らせたもの・・やはり人間の我が身中心の欲のこころだと思います。現代人の精神が未熟であるからこそ自我や我が身欲に振り回されて理性を見失うのだと思うのです。自分の為、自分の家族のため、自社の為、自国の為、宗教の為、同盟国のため・・「いつの間にか人類のため」が、どこかへ行ってしまっているようです。
 現に、我々人類は既に別な惑星への移住を目標として各国協力の下、手始めとしてコロニー・プロジェクトが進行しています。一見素敵なプロジェクトのようにも感じますが、わたくしにはまるで幼い子供の夢のようにも感じてしまいます。だって子供は遊びに夢中で後片づけがなかなか出来ませんよね。それと似ていませんかあ?さんざん海も空も汚したままで「この部屋は汚くなったから今度は別な部屋で遊びましょ!」と言ってるよーなものでしょう。ほんとうに人類が大人だったら別な星への移住を考える前に汚した海や空を元に戻すために知力や財力を遣うはずでしょう。それをせずに他の星への進出計画なんて・・傲慢な人間の身勝手なプランとしか思えないのは私だけでしょうか? 私は決して望んでいるのではありませんが、このままでは人類の他の星への移住するプロジェクトは失敗に終わると予測しています。現にここ最近は宇宙ロケットの発射事故やトラブルが絶えません。
 私は、みなそれぞれに備わっている「こころ」を自分だけのためにではなく、先々まで見越して、正しく「皆のため」に働かせた時に、眠っていた「脳」=「創造性」が新たな力と夢と可能性を生みだしていく気がするのです。ですから私は「純粋な愛あるこころ」こそ創造性を豊かにする源なんだと私は信じています。全人類が共存する姿を想像し、それが争いを繰り返すことより遥かに素敵なことだって想像が出来る人間なら、それはきっと実現可能な筈です。
我が身のことしか考えられない「貧弱な弱いこころ」からは豊かな創造力など生まれるはずもなく、せいぜい金や力と言った地位や財産や利権ばかりに捕らわれる「欲望」に次々と溺れるだけでしょう。そんな程度の人間の脳みそが生み出すのは始末に負えない未来だけでしょう・・あ〜やだやだ・・そんなことじゃ、ほとんど脳みそ使わずに死んじゃう訳だわ・・と、私も含め、未だに未熟なままの人類ですが、ロケットはいいからオゾン層なんとかしようよ!温暖化対策にもっと予算を割こうよ!と、要するに奇跡の星に生まれた以上、それを大切に出来なくちゃ折角の知能も無駄にするだけだし、どんなに努力してもいい結果が出ない、そう言う「仕組み」にこの世はなっているのでは?とまあ、わたくしは思うわけです。
 ですから人間の精神が高まれば、それに伴って創造力も高まり計り知れない可能性をあらたに生みだし、それは現在人類が抱えた問題を解決に導く筈だと思うのです。  そのきっかけは「我々のこころ」の在り方しだいなのだと私は想像してます。「脳みそ」と言うエンジンに「こころある生き方」と言う燃料を注いだときにこそ、脳みそエンジンはフルパワーを発揮し、どんな難問も解決して行けるのではないでしょうか。同時にそれは精神に伴った肉体の成長進化も促し飛躍的に寿命も延びていく事もあり得るはずです。
 要するに、宇宙を含む自然界との「共存」を可能にする「こころのあり方」を人類が学び掴んだときに、これまでのどの文明よりも豊かな「全人類社会」が何千年も続く可能性が見えて来るように思えるのです。そして、その時に「特別に大きな脳みそ」を人類が与えられた意味が初めて理解出来る気がするのです。
 
教訓:人類はまだワカゾー(若造)なのである!
4
災い転じて道となり ( on the Beach) 
   随分昔の私事で恐縮ですが、二十歳前の私は絵描き志望でした。しかし、それで生涯生きていけるとは到底思えず、絵の具クサイ小さな下宿部屋で日々悶々としていました。そんなある日突然ギターを作ろうと思い、即行動を起こし、気づいたら楽器製作の道に入っていました。そしてそれは結果的に27年間続くわけですが、振り返ってみれば現在のスピーカー製作に辿り着くまでの道は決して真っ直ぐなものではなく、かなり曲がりくねった道だったことに気づきます。
 かつて絵描き志望の頃は結局、油絵が好きなだけで自分の人生がそれに重なっていくように思えなかったからこそ楽器の道に進めたのだと思っていますが、その前に一時考えたのがサーフボード・シェイパーです。波乗りの板を削るシェイパーです。今でこそ、あまりにポピュラーなサーフィンですが、当時はブームとなる前でサーフィンとは呼んでおりませんでした。単に「波乗り」でした。
 当時は、その波乗りにかなり熱中しました。こんなに熱中出来るモノなど他にはあるまい、と思っていたほどです。事実、日本全国のサーフポイントをボードを持って回っておりました。そして一時サーフィンをしながら仕事が出来るボードシェイパーに興味を持ったのも自分の中では当然の流れでした。しかし、ある時右足の親指の付け根にケガを負って結果的に親指の神経を切断してしまい左足の踏ん張りが効かずにバランスを取ることが非常にしづらくなってしまいました。当然ながら、その後どんなにチャレンジしてもボードの上でうまくバランスをとることは出来なくなりました。
 波に乗れない人間がボードシェイパーになっても仕方がない・・と、波乗りを楽しめない悲しさと相まって非常にショックを受けました。友人にも打ち明けることもなく随分落ち込んだものです。
 しかし、そのお陰でサーフィンにのめり込んでいた情熱を当時始めていた楽器製作に集中して向けることが出来ました。しかし、またしてもトラブルが起きました。ある時、伐採された木材の積み上げ作業中に次々に積み上げられ転がってくる太い丸太に右手の親指、人差し指、中指の3本を一瞬にして挟まれてしまったのです。その時は不思議なくらい痛みもなかったのですが、問題はそれからです。3本の指の動きに以前よりタイミングのズレがあることに気づきました。特に指を少し寝かして角度を付けたときに違和感があり、食事の時など箸の使い方がうまく出来なくなりました。そしてギターを弾く際にも右手に持ったピックをポロポロ落とすようになりました。ギターの弦をつま弾く時にも3本の指の反応が微妙に遅れる為にタイミングが合わずイライラ感を覚えるようになりました。 その後、連日指を酷使してピックは普通に扱えるようにはなりましたが、相変わらずタイミングのズレに関してはどんなに練習しても違和感が消えることはありませんでした。
 またしても怪我によって今度は大好きなギターを弾くこと自体が苦痛になってしまったのです。
そのことも周りにはいっさい口にしませんでしたが、内心はものすごいショックでした。
 しかし、その影響は別な形で自分の背中を前に押し出してくれたのです。「自分自身で楽器の演奏はうまくできなくても、本格的に技術屋として誰よりも素晴らしいギターを作ってやろう」と決心することが出来たのです。要は腹が決まったのでしょうね。更に、不思議なことにノミやカンナなどの道具を扱う事に関して3本の指は殆ど支障をきたしませんでした。
 それからは、それこそ脇目もふらず無我夢中で技術の習得と独自な研究に励みました。それこそ必死に打ち込みました。メーカーの立ち上げや個人で工房も設ける事など、楽器製造に拘わるあらゆる経験をし独自な設計製法を徹底的に追及してきました。
 そして、日本から世界に通用する楽器を生みだし、それを日本人のプレイヤーに弾かせて世界中に認められたい、との思いが経験を重ねるごとに強く根付いてきました。 そのせいか楽器に携わっていた間、私は非常に国内ミュージシャンに対しての評価が厳しい人間でした。 今思えば大人げなかったと反省しきりですが、とにかく業界で技術者として名前が知れるようになれば成る程、海外のトッププレイヤーと接する機会も増え
、自分の携わった楽器がプレイされたアルバムが多数世に出ていきました。その彼等が聴かせてくれる音楽と彼等と同じ楽器を国内ミュージシャンがプレイした時の、サウンドや音楽性の格差に正直落胆を感じてしまうことが、いつの間にか自分の中に蓄積していきました。
 「アンタの腕はその程度なの?」「結局、海外のモノマネの域を出てないね」「なぜ世界中に通用する独自な音楽を作ろうとしないの?」などと、思っていた傾向が事実ありました。それまで私は「モノマネで満足しているヒトが許せない!」といった傾向が強かったからでしょうね。
 それでも私が期待をしサポートし続けて来たのは国内のミュージシャン中心でした。だって日本人ですから、日本人が日本人を応援しなくてどーする!と言う思いからです。 そんな中、10年近く勤めたメーカーから独立し「tmp」を立ち上げ、長年温めてきた独自なサークルフレッティング・システムも形にし世に出すことが叶いました。しかしそれを喜ぶ反面、その画期的なシステムに対する周囲の反応から「これが将来認められるとしても、それはまだまだ先のことになるだろう」と感じました。と同時に自分の気持ちの中に隙間と言うか空白が生まれていました。そしてなぜか「この業界での自分の仕事は終わったな」と感じてしまったのです。
 そんな頃です。ある日、高校生の我が子達にステレオを買ってあげたのですが、そこから出てくる音を聴いたときに、何か「怒り」に近いものを感じたのです。「なんだこの音は・・生の音楽はこんな薄っぺらな音じゃない、こんな音で音楽を聴かせたくない」と、本心からそう思ったのです。以前から四角い箱に入ったスピーカーに大きな疑問を抱いていた私は「よし、スピーカーを本格的に研究しよう」と決心をしました。
 殆どの場合、我々は最終的にはスピーカーを通じて音楽を耳にします。そして、諸々のステレオ機器の再生音の影響力はスピーカーが最も高く、再生音の50%はスピーカーで決まるとさえ言われています。それ程、音楽に対してスピーカーの存在は重要なのです。新たなチャレンジ対象としても不足はありません。
そして現在、楽器製作のノウハウや音楽製作現場での経験など、その全てがtmpスピーカーの製作にたっぷりと生きています。
 一見、災い?トラブル?挫折?とも思える過去の様々の事々ですが、後になって思うのは、それはその先の道への「かけ橋」であったり、次の世界への「扉」だったりした訳です。
        過去の全ては決して無駄ではなかったなあ・・ありがたいことだな、実に。
 50近い歳になって、海辺に座り、沖で波待ちをしてるサーファー達を眺めて思うのは そんなことです。
 
教訓:災い転じて道となり
5
夏の想い出
   小学生の頃、私は静岡市の割と海の近くで過ごしていました。
 自転車で15分も走れば海だったので夏ともなれば朝から太陽が水平線に落ちるまで海で遊んでいました。
 その海辺には大中小とサイズ別にプールもあったのですが、マツシタくんはプールでは殆ど泳がずに完璧に「海派」の少年でした。今こうしてその頃を想いだしても「あ〜本当に楽しかったなあ〜」と思うのです。
 当時の夏休みと言えば山ほど宿題がありましたが、当然の如く手を付けるのは夏休み最終日、しかもその日の遊びが終わってからでした。私は子供ながらに「少年は山ほど遊ぶべきだ」と信念を持って遊んでいましたから(わはは、どーだ!)宿題なんて「セミの抜け殻」くらいにしか思ってませんでした。
とにかく夏が大好き、海が大好きでしたから台風で海が大荒れの時でさえ私は海に出かけていきました。
元々その海岸の波打ちは砂浜の遠浅なものではなく、海岸の多くが玉砂利でテトラポットも数多く設置され、およそ家族向きの海岸ではありませんでした。しかも波打ち際からすぐ急な勾配で太平洋に落ち込んおり潮流も速かったので当然遊泳禁止区域だったのですが、マツシタ少年はそんなことお構いなしで連日、波と戯れておりました。しかし、さすがに台風ともなると波はいつもの数倍の高さに達し、止めどなくテトラポットにぶち当たり、大型台風の日にはさすがのテトラポットも波に粉々に打ち砕かれそうでした。
 そんな荒れ狂う海もマツシタ少年にとってはとっておきのお楽しみの日でありました。
海岸線に延びた堤防の手前にはゴロゴロとテトラポットがどこまでも続いておりましたが、さすがに台風直撃ともなれば荒れ狂う波は防波堤を越えんと打ち寄せます。そんな時に波の来るタイミングを見計らって「サササッ、スッ!」とばかりにテトラポットの隙間に潜り込むのです。もちろんマツシタ君は海パン1丁です。
 幾重にも重なったテトラポットの合間から沖から止めどなく打ち寄せてくる波が見て取れます。「あーっ!くそガキがあーっ!俺らをなめてやがんなー!ぜってー殺したるっ!」と、まあ荒れ狂う波の皆さんは「マツシタくそガキ少年」を木っ端みじんにしてやろうと襲いかかってくるわけですわ。その時のスリルと言ったらもう、くそガキにはたまんないわけです。そして実際にその怒濤の大波がテトラポットを覆い込み頭上から襲いかかってくるのです。
 「ドドドーッ!どぅおっくわーん!!ぐしゃ、ぐしゃ、ぐしゃーっ!」と、まあ表現的にはこんな感じでしょう。とにかく、もうその時は巨大な洗濯機に放り込まれた感じです。そして一旦波がおさまって次のが来るまでの間に天地がひっくり返ってる自分の体を立て直すわけです。気がつくとテトラポットに打ち付けられたり、付着したフジツボみたいので全身傷だらけです。血が滴ってきたりもしてるわけです。
 しかし!マツシタ少年の顔は多少引きつりながらも満面の笑みなのです。「うっひょ〜!!これだからやめられない!」まさにエンジョイしてたのでございます。しかし台風にだって面子ってもんがあるのでしょう、くそガキになめられては黙っておれん!とばかりに、それこそ波状攻撃で攻め続けてきますが、当のマツシタ少年はテトラポットの中で大声で歌っておりました。「わーれは うーみの子っ しーら波のお〜っと!」
・・・正真正銘のバカでございます。
そんなある日、またしても太平洋の南方から大型台風が関東方面をめざして「くそガキ退治」にやってきました。とーぜんマツシタ少年は海パン一丁、世界を救うためにチャリこいで海に向かうわけです。
 しかしその時はまだ「大怪獣ターフーン」は太平洋を移動中。まだテトラポット・オーバーのサイズには達しておらずただ荒れた大波状態でした。そんな時はマツシタ少年は海に入り泳ぎながら対決の時が熟すのを待つのが常でした。荒れて数メートルの高さに達した波打ち際から沖に出るのもスリル満点でした。タイミングを見計らって崩れる直前の大波の腹に走って突っ込んでいくのです。タイミングがズレたら、もおたいへん!玉砂利の上にぐっしゃぐしゃに叩き付けられます。でもうまいこと波の背中に突き出たら、もうそこは巨大な遊園地です。数メートルもの波間の高低差を上下してると、生きた心地がしない反面「オレって波と友達じゃん」みたいな波との一体感を味わえるのです。波間の無料ジェットコースターみたいな感じです。振り返れば海岸先の松林の先端の部分が見えたり隠れたりしています。
 そんなある時に自分以外にも台風の波間に入っている大人の男性を見かけたことがありました。自分から3〜40メートル離れた波間に一見サラリーマンぽい中年のオジサンが沖の方を向きながら波間を上下していました。マツシタ少年は見え隠れするオジサンを目で追いながら「あー僕と同じように遊んでいるのかなあ〜」と思っておりましたが、少し気になったのはそのオジサンは自分と違って「楽しそう」には見えなかったことでした。しかもオジサンは白いワイシャツを着たままです(ネクタイはしてなかった様に思います)
 もし、そのオジサンが自分と同じように波間で楽しそうにしていたら「お〜い!」と声をかけ、手でも振っていたと思うのですが、そのオジサンはずっと遠くの沖の方をじっと見ている様子でした。そしていつの間にか、そのオジサンの姿は見えなくなってしまい、僕はまた一人で波間に浮かんでいました。
 その日は台風でしたから早めに海から上がり自宅に戻りました。すると父親が居間で夕方のテレビのニュース番組を観ていました。すると地元のニュースとして「本日、この荒れた台風の海に入り男性ひとりが死亡致しました」とキャスターが言っているのが耳に入りました。「えっ?!」と思い、父親の横に座ってテレビを見ると男性が死亡した場所として画面に沿岸の簡略地図が映され、さっきまで泳いでいた海岸のところにバッテン印が付いていました。僕は「・・・・」無言でした。すると横にいた父親が「まったく・・こんな日に泳げば溺れるに決まってるだろーが・・バカな奴だ」と言い、横にいる息子に続けて言いました「おまえ、今日どこで泳いできたんだ?」マツシタ少年は少し重い気分で「ん?・・プ、プールだよ」と答えました。
 「こんな日にプールやってたか?」と言う父親の言葉には応えず、マツシタ少年はその場を離れました。
そして上下する波間で沖を見続けていたオジサンの後ろ姿を思いだしていました。濃い灰色にたれ込んだ雲と暗い色をして重くうごめく波との間に見えた白いワイシャツの襟や濡れて頭にへばり付いた髪の毛、それらがしばらく頭から離れませんでした。そしてマツシタ少年は、なぜあの時オジサンが楽しそうに見えなかったのか、その理由が何となく分かった気がしたのでした。
 その日以来、マツシタ少年は台風の日に海で遊ぶことをやめました。重く暗い海で死を迎えたあのオジサンの後ろ姿が「もう やめなさい」と言ってるような気がしたからかもしれません。
 今では、あの時のあのオジサンの年齢を越えた私は こう思っています。
人の死は その原因が事故であるとか、病気であったとか、はたまた自殺であったとか それらの要因の果てに結果的にもたらされるものではなく、人それぞれに寿命の尽きる日まで人生という経緯を辿った結果、迎えるものが死と言うものである、と考えています。
 
教訓:人は寿命が来るまで死ねないのである。
6
DNA
   やっと世界陸上が終わった・・やれやれこれで寝不足も解消するなあ・・と思うくらいTVで世界陸上を観てました。世界水泳の時もそうでしたが正直に言って、一般のサラリーマンや会社員でなくて良かった・・て思いましたよ。連日、朝方まで競技を観て朝7時だ8時だに起きて出勤するのは大変ですもんね!その点、わたくしは従業員ゼロのtmp-Islandsの国王なもんですから、そりゃアータ、どーにでもなる訳です。でも実際には休日らしい休日は殆ど有りませんし、オリンピックの選手にも負けないつもりで1本1本真剣勝負でスピーカーを作っているつもりです。
 オリンピックも含め、記録を目指して鍛錬に鍛錬を重ねた各国の極一部の選手が選ばれて参加している様々な競技を観ていて思うのですが、人種によって得意な種目があることは歴然としているなあ〜と幾度も思いましたね。世界水泳で一番思ったのは未だに黒人の有力なスイマーは存在しないと言うことですね。ルーツ的に広大な大地を走り回っていた人々ですから、その優秀な運動能力も泳ぐ必要のない生活をしてきた関係で未だにスイミング向きではないようです。でも走らせたらやっぱりスゴイ!考えたらアメリカも歴史の中で黒人解放運動が起こってほんと良かったですねえ。だって陸上競技で黒人選手がいなかったらアメリカはメダルをいくつ獲れたでしょう?
我が国ニッポンはと言えば、最近は短距離や腕力勝負の種目でも少しずついい成績を残す選手が出ては来ましたが、やはりマラソンの様な持久力勝負の種目以外ではなかなかメダルは難しい様子。元々、個人種目よりも団体での競技に向いているのも特色なんでしょうね。何と言っても我々日本人は農耕民族ですから忍耐力や持久力戦が得意です。人種的にも地道にコツコツ積み上げるタイプであることは確かです。いかに西洋文化を取り入れたとしても多分その特質面は基本的には変わらないはずです。その日本人は戦後から現在まで資本主義社会=営利競争で戦い続け、ある程度の成功を収めましたがバブル期に完全に自分を見失い失速。その後、長いこと良い成績を上げられず苦悩し続けています。これには私は日本人の農耕民族であるが故の性(さが)を感じています。天候に恵まれれば、その年は豊作です。一生懸命働がむしゃらに頑張れば収穫量も上がり生活も潤いますが、天候に恵まれる年が続くとは限りません。でも淡々と農作業を行ってきた日本人は収穫に恵まれなかった悪い状況下のことを生かす工夫が足りない様です。来年は収穫がグンと上がるさ!と同じ手法で望むことが多いように感じます。
 日本に住み続けてきた我々は同一種族ですから創意工夫を行ってもパターン化されがちです。それは生き方や考え方が似ているからに他なりません。時の流れに対する考え方も日本人は四季的に考える傾向が強いと私は感じています。日本の季節は確かに春夏秋冬と巡り来ますが、それは自然界の気候変化に過ぎないのに、ビジネスでも売り上げが上がると、その後もその成績がいい時を元に予算組みをし計画を立てます。しかし、二度として同じ時は流れないのです。一瞬一瞬に変化は起こり続け、それが連続しているのが時の流れです。振り返って今年はいい結果が出たと言っても、それは二度と同じ時は流れない過去のデータに過ぎません。
 企業の動きを見れば、売り上げが上がり生産量が上がった事で一気に増産体制に移り、更なる生産販売の拡大へと進みます。でもそれは需要が継続することを前提としての投資判断であって、実際には同じ事が継続し続ける、拡大成長が永遠に続くなんて事は有り得ないことです。でも必ず良いときが再びやってくると信じ込んで同じ事を繰り返してしまうのは四季が巡る環境に定住し続けた祖先からのDNAなのでしょうか?
 私は数年前まで楽器製作の専門家でした。30年近い経験の中で、ある時、使用する木材自体がどんどん変化をしていることに気づきました。それは材種を問わず「木が弱っている」ということです。元気が無いのです。その原因はたぶん酸性雨だと思われます。土中に染み込んだ酸性雨を吸って木の繊維は少しずつボロボロになっていっているのです。これだけ環境破壊が進めば自然の産物である木々はもろに影響を受け、それは環境が元に戻らない限り続きます。じっくり研いだ刃物を木肌にあて滑らせば、その削れ方で判ります。
 それもあって私は楽器製作時に木の狂いを抑え強度を増すことが可能な手法として燻煙(クンエン)処理を行ってきました。しかし、今後は環境保護の一環として塗装時に使用する有機溶剤などの塗料の使用にも制限が加えられます。昔ながらの手法に新たな手法を加え、良質材を手間暇かけて削りだし丹念に塗装を重ねていくことも出来なくなるなら、もう正統的な楽器作りもここまでだな・・と正直感じました。かつてメーカーに在籍中も「木を切り倒して製品を作る企業には植林をして山や緑を元に戻す責任が有るはず。使った分だけ売り上げから予算を設けて植林をしましょう!」と呼びかけましたが、なかなか実現出来ませんでした。
 そして木材は枯渇し現在は代替え材にて楽器が製作をされているのが実情です。例えば「マホガニー材」とカタログ表記されてはいても実際には純粋なマホガニーではなく、その親戚にあたる「ラワン材」に近い材種が使用されたりしています。当然出てくる音色はマホガニーではなく、ラワンにちかい音色です。無くなる前に植林をしておけば・・・自然界のモノは人間には作れないのです。でも植林や環境対策は事前に行えたはずです。でも世の中はビジネス最優先。戦後、世界に先駆けて大量生産を繰り返してきた我々日本人は収益拡大ばかりに拘り、いずれそれは飽和状態を迎え停滞し結果的に環境破壊を産むことを無視し、更にそれを元に戻す政策を怠り続けて来ました。
 まるで「ほっておけば、また元に戻るさ!良いときはまた必ず巡ってくる」と言わんばかりです。しかし地球の歴史にも人類の歴史にも同じ時間など流れたことは無いのです。予測に基づく事前対処なくして環境が良くなることは有り得ないのです。日本が「世界の先進国」と呼ばれるのを耳にすると、ちっともそうは思えないのは私だけでしょうか? 日本人は日本人の最も優れた特色である、まじめさ、誠実さをなんとか取り戻し自然環境を含めた共存バランス感覚を再度身につけなければいけないなと思います。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な生き方はもうやめましょう、とホントに思いますよ。
 アイヌ人の方の生き方でこんな話を聞いたことがあります。アイヌの人々は川でサケを捕るときに「一匹目は神様の、二匹目は熊の、三匹目は自分の」と感謝をしつつ自然の恵みを頂く、と。
 私はこの話を聞いて、自然に感謝し全体の命のバランスに配慮した何と賢い生き方だろうとたいへん感銘を受けました。自分の置かれた環境や立場、その中で生かされている自分に気づけば感謝も生まれるでしょう。
 だから、いいじゃないですか!日本人が黒人選手のように速く100mを駆け抜けられなくても。日本人は日本人にあった種目で頑張れば。ケニアの選手が走るのをやめて水泳にがんばっても何か違うでしょう?自分にあった生き方でいいと思います。それが人類全体での各人種特色を重んじ尊重することに繋がり全体をバランスし共存させる手だてではないでしょうか?「自分が何たるを知る」それこそが賢い生き方だと思います。
ちなみに、私の先祖には技術屋が多く、亡くなった父も農作物の品種改良の技術者でした。そして、その息子の私は長年楽器の品種改良を行い、現在はそのノウハウを生かしてスピーカーの品種改良を行っております。
 もしかすると、日本のマラソンの有力選手の先祖にはかつて飛脚として東海道五十三次を走っていた方がいたかも知れませんね。
 
教訓:DNAとは・・誰なのアタシって? の略である。
7
プロフェッショナル魂
   世の中には様々な職種があります。それぞれの職種に携わる人は皆、その道のプロフェッショナルと言えるわけですが、どうやら「自分はこの道のプロなんだから」と、誇りを持って仕事に従事している方とそうでない方がいられるようです。
 例えば、会社勤めの女性でも俗に言う「お茶」係りの方もいらっしゃると思います。多くの会社経営者の方などは相手先の会社の経営状態その他を訪問時にそことなくチェックをされるそうでして、その際にまず一番最初に受付時の応対とお茶を出してもらった時の女性社員の対応も気にかけるそうです。
 社員教育が行き届いた会社ではお茶を出してすぐにその場を去る女子社員であっても、やはり応対レベルは高いそうですし、更には必ずトイレに行って内部の清掃具合もそれとなくチェックをし清掃の行き届いた会社でなければあまり信頼は出来ないと判断するようです。
 要は、どれだけプロフェッショナル意識を持って経営者が社員教育をし、それが社員に徹底されているかが重要と言うことなんだと思います。経営者がしっかりしていない会社は統率力も低いためにいろいろな部分に粗が見えるわけですね。そこに相手の仕事自体のクオリティに期待が持てるか否か判断される訳です。
 お茶を出した女子社員が自分の立場を「たかがお茶を出すだけ」と考えるか「自分の応対ひとつで自社の評価や信頼まで損なうかも知れない、ここはプロとしてそつなく気持ちよく、お客様に応対を心がけなければ」と考えて行動を取れるか否かで実際に相手の受ける印象も違ってくるでしょうし、その女性社員の方も自分の仕事が何にせよ誇りを持っていけることになるでしょう。 
 事実、「どーせ、仕事って言ったって嫁に行くまでの腰掛けよん、早く今日の仕事終わんないかしら〜」って思いながら仕事してる人って傍目でも判りますもんね。
 プロスポーツの世界でもいろいろな部分が見えてきます。ベースボールでもフライを捕り損ねた野手の中には、あたかも捕り損ねたのはグローブのせいだと言わんばかりに首を傾げてグラブを叩いたり、投げつけたり・・プロテニス・プレイヤーでもミスが出ると自分のせいなのにラケットに当たり散らしたりしている場面を目にしますし、ミュージシャンでもうまくプレイ出来ないと楽器のせいにする方がいたりします。
 皆さんプロのプレイヤーですから、グラブの製造メーカー、ラケットの製造メーカー、楽器の製造メーカーなど、それぞれメーカーと契約を結びサポートを受けている場合も多いわけです。その場合、本来絶対にやってはいけないのが、メーカー製品の印象を悪くする表現や行為です。
 たとえ、実際に自分が使っている製品にトラブルが出たとしても、それをあからさまに露呈させることはプロとしてサポートを受けている以上、避けなければいけないのです。なぜなら、それがプロだからです。
 私も単に楽器を作るだけではなく、メーカーからのオファーで楽器を開発し更にその楽器をユーザーに対して「プロが認める良い楽器である」ことを印象付け、製品の良さを立証させる為にモニターとなるミュージシャンとメーカーの間に入ってモニター契約をまとめる仕事を何件か請け負いましたが、正直言ってたいへん気疲れする作業です。いかにミュージシャン本人が楽器を気に入ったとしても時にはモニター製品以外の別なメーカーの製品を使いたくなる場合もありますし、中にはライバルメーカーの楽器を使い出したりもする方がいたりします。また、モニターの楽器を使っていてプレイ中に明らかに自分で犯したミスプレイなのにあたかも楽器に問題が有るかの如く、しかめっ面をして別な楽器に持ち替えたりする方もいらっしゃいます。そんな時は「あなた、プロなんでしょ?・・やれやれ・・」ほんとうにサイテーな気分です。更に、その場にメーカーさんのスタッフの方が楽器の使用具合をチェックに来ていた場合などは、もう最悪  な気分。立場上、苦笑いするしかありません。間に入った人間としては面子丸つぶれってやつですね。そんな場合、メーカーさんはそのミュージシャンから退いていきますね。
 なぜなら、そのミュージシャンの為に楽器を特注製作をした費用に加えて、メンテナンス、ライブやレコーディングのサポート費用などを含めて、およそ年間で安くても数十万円の経費が掛かる上に、勿論楽器を数本用意するとなれば金額はその分跳ね上がって行きます。そこまでしても、モニター効果が明らかに出るミュージシャンは残念ながら日本では殆どいらっしゃらないのが実情なのです。それでもメーカーは出来る限りサポートをしようと努力し、またそれに応えようとする誠意あるプレイヤーもいるのも事実です。
  海外のミュージシャンでいつも感心させられるのは、やはりプロ根性があるな、と言う点です。本人のモデルを開発することになって、試作が半ば完成した時点で本人チェックとなるのですが、こちらは彼等の演奏スタイルや好みに合わせて作っている訳ですから「ここまで出来れば、後は調整で済むだろう」と言うところまで追い込んでおく訳ですが、その楽器を手にした彼等は「楽器はここまでで充分、あとは弾き手の腕次第」と言う感じで、そのまま当日のライブで使用して、結局そのまま帰国してしまうことがよくありました。楽器に100%、100点満点を求めていないのです。自分の為に楽器が用意されたら、あくまで「ここから先がミュージシャンの仕事」と言う、プロフェッシナルなスタンスなのです。  
 彼等は一旦モニター契約をしたら、そのメーカーの楽器を必ず大切にしますし、雑誌取材などではなるべくその楽器と一緒に写真に写ろうと心がけていますし、既に他のメーカーと契約が有る場合などには、どんなに気に入った楽器を持ち込まれても「既に契約があるから」と、その楽器を公にすることは有りません。更に、「オレが弾いてるからいい音がしてるんだ」と公言するようなモニター・プレイヤーもいません。それはプロとして自分の立場、サポート・メーカーの立場の双方をわきまえているからに他なりません。
 
 同じ日本人として感じることですが、日本人の独特の気質の中にはプロと言う立場として不向きと思われる点をいくつか感じることがあります。それは例えば、全ての仕事をひとつの勝負に例えたなら、「勝ちたい」と思って戦っている人と「負けたくない」と思っている人では「負けたくない」と思って戦う人の戦う姿はプロとは言えません。なぜなら試合がつまらないモノになるからです。どんなにやられても「絶対に最後は自分が勝つんだ!」と思いながら戦っている人はたとえその試合で倒されても試合自体はおもしろいですし、そんな選手は次の試合ではグン!と力を付けている場合が多いです。
 しかし「負けないように試合する」人なりチームの戦いはつまらないものです。日本人の場合、仕事でもなんでも「無難」にこなそうとする姿勢がよく見受けられます。平均値をとても重要視する傾向も強いと感じます。例えば、クルマでもそうでしょ?いつも似たようなルックスやコンセプトの車ばかりが市場に出てきます。そしてすぐにモデルチェンジ・・それって実はとってもプロとしては恥ずかしい仕事なのだと思います。すぐにモデルチェンジしなくてはならないようなデザインや性能でしかなかったから仕様変更が相次ぐ訳ですからね。完成度が低いと言わざるを得ませんし、長年乗っていたくなる車作りを最初からしていない証拠ですよね。
 勿論、我々ユーザーの日本人自体にも問題は多いです。「すぐ流行に飛びつき、すぐ飽きる」本物を見極める、見定める「目」が無いと考えざるを得ません。長くモノと付き合おう、大切にしようとしないから簡単に流行にはまり、またそれを次々と捨てていきます。作る方もプロとして誇りを持ってモノ作りに励み、ユーザーも「本当に良いモノと長く付き合いたい」と、モノ選びをすれば大量消費文化も変わることでしょう。そこに作る側もほんとうの実力が培われていきますしロングセラー商品が増えることが最も経費が削減でき利益を生むのですから。ワーゲンのビートルやミニクーパーなんて何十年も基本的な部分は変えずに長い間愛され続け、漸く最近フルモデルチェンジしましたよね。本来、あの姿勢こそ見習うべきでしょう。
 でも日本人の生き様はモノマネ分化と言って差し支えない有様ですから変わり行くことが本質なんかも知れませんね。何かにあこがれると必ず誰かのマネから入りますよね。何かを収得するにも、まず学校に通う最初はそれでもいいでしょうが、いつまでも「形から入って形にハマって終わる」のでいいのでしょうか?
 この世に二人と同じ人間はいないのに誰かのマネで満足したり、周囲の反応ばかり気にしてその時に受けそうなことばかりに気をとられて、いつまでも「誰にも似てない、マネできない自分」を確立できない・・
 ミュージシャン志望の若者にこれまでも随分接して来ました。彼等多くの人達は一旦その世界にあこがれていつか自分も、自分たちもと頑張っています。しかし、なかなか世には出ていけないのが現実の様です。
 そんな彼等を見ていて感じるのは、みんな必ず「誰かみたいになりたい」と思っている点です。あこがれの人みたいになりたい近づきたい、そう思うのは勝手ですが、そのあこがれの人をお手本にしたとて所詮同じ運命を背負った人間ではないのですから、それをどんなに真似たとて、所詮「よく出来たコピー」が、その道の最高点です。ですから私はコピーするのも誰かに習うのも結構だけど「影響を受けすぎないように!」 と必ず彼等に一言を添えています。
 あまりに誰かの影響を受けすぎた場合、シロウトのままでならいいのですが、そんな方々がプロになったとしても「所詮、誰々のコピー」では魅力を感じませんし、それはそのまま彼等の評価そのものになってしまいかねません。真似るのも教わるのも基本だけでいいのです。基礎を身につけたなら、後はすべて自分なりに研究し自分だけのものを自分で構築すべきです。それでなければ「他の誰でもない自分」にはなれませんから他人からみても「その人だけの魅力」「そのモノだけが持つ魅力」を感じることが出来ません。
 自分独自の道を歩んでこそ他人に価値を与えられ、また感じて貰えるのですから、特にプロを目指すのなら、その点は非常に重要です。それを自分に求めて探求した結果、その道では無理だと判ったなら、それはそれで実にめでたい成果です。だって自分の生きるべき道はこの道ではない、他に自分が輝ける道があると気づけたのですから。仮に道以外で考えるなら方法や手段にも活用できます。 ベストを尽くして行き詰まったなら、それは「やり方がおかしい」「見る角度を変えるべき」と、そこから「これ以外にもっといい方法がある」と言うことに気づいた、ってことですから、それは進歩です。誰かのやってる事や、やり方、それらを気にしたりマネしているばかりでは答えは見つかりっこありません。すべては自分なりの創意工夫が大切です。それが出来ない、持続してチェレンジ出来ないってことは、その道にその人は必要が無いってことです。「自分が生かせ、自分の創意工夫がその世界に役立つ道」を探すべきです。
 なぜなら人それぞれが、その道のプロにならなくてはいけないからです。人間はたった一人で人は生きられません。この世は支え合いの世界ですから、それぞれの道を歩む人がプロとして責任ある仕事をしなくてはいけないのだと思います。
 そうです、家庭だってお父さんは父親としてもプロ。何があっても家庭を守らなくちゃいけません。主婦なら主婦業としてのプロ。学生なら学生のウチは学業が本業。ニッポンの政治家さんだって、頼んますよ!国会の為に税金を払ってるんじゃないんだから・・ねえ。
 
 今のこの国には、周囲の様子を伺ってから出来る範囲のことをすべきだと勘違いしている人があまりにも多いように見受けます。「問題が起きてから考えます」的な考え方が日本人にはあまりにも多すぎると言う意味です。問題が起きないように日頃からそれぞれの自分の立場でプロとして事にあたる以外、人の生きる道はないのではないでしょうか? そもそも、勝てないリングには最初から上がるべきではなく、リングに一旦上がった以上、「負けない様な試合運び」で戦うのではなく「勝つ為に戦う」その為に積極的に挑むべきです。国民が拉致されても何十年もほったらかしで表面化したら「さて、どうしよう・・」そんなのプロの政治家がこの国に居なかった証拠の様なものです。だって国民を守れない政治家など必要ですか?
 極論を言うなら拉致した国に「自分が身代わりになるから、とにかく国民を帰せ!」と身を挺して言えないなら、最初から政治家などになるべきではないでしょう。いざとなったら犯罪者と戦う意志のない警察官なら、最初から警察官になるべきじゃないでしょ?それと同じですよね。
 余談ですが「K−1」と言う格闘技が日本から生まれて現在もすごい人気ですが、戦って観客を沸かせたり惹きつけているのは殆ど外国人選手です。特に日本人選手同士の試合は相手の出方ばかりを見合って積極性を欠き、漲る闘志やパワー感を感じることはめったに有りません。農耕民族の悲しさか、どんなに頑張っても外国人選手のパワーや闘争心に押され、「倒されない試合」をするのが精一杯なのが実情です。
  そこが、まるで「野生の獣」と「家畜かペット」が戦っているような場違いさを感じさせます。せめて、まともに戦って勝てそうにもない相手なら、負けると分かっていても果敢に挑んでいく姿を観客に見せて欲しいです。「負けないように戦う」のと「相手を倒すために戦う」のでは、まるっきり違うわけです。プロであるなら「勝てるはず」と自分で思えるまで、その相手とリングに上がりなさんな!もし上がるのなら「負けてもいいから相手も倒す!」と言う覚悟で臨んで欲しいと思います。
 かく言う私は・・世界中には皆さんもご存じないくらい多くのスピーカーを製作しているメーカーさんが存在しています。その中で小型スピーカーでなら、ブランド・メーカーさんのスピーカーに勝てる=買ってくださった方が「tmpを選んで良かった!」と言っていただけるだけのスピーカー製作を行っているつもりです。そしてそれを[あくまで独自なスタイル=他の誰でもない自分だけの方法]で極めたいと思っています。決して楽な道ではないでしょうが、もう選んだのです。これまで楽器製作の世界でもそうでしたが、独自なモノ作りの為に自己資金を投入して研究し続けてきました。結果、貯蓄も全て楽器作りとスピーカー研究のために消えました。ですから家族には誠に申し訳ないのですが、50近くになった今でも未だに借家住まいで車だって中古車ばかり。自分の家も持てず、家族を新車に乗せたこともなく家族旅行も殆ど連れて行けませんでした。それでも不満を言わない家族には本当に感謝しています。バカなおやじでゴメンね。
 数年前このスピーカー製作の仕事を始める際に「たったひとりで一流メーカーさんに勝てるの?」と自問自答しました。その自分への自分からの応えは「自分だけの方法でなら勝てる」と言うものでした。あとは実践するだけです。
  現在の私のささやかな夢は スピーカー製作で得た収入で将来、家族孝行することです。
 
教訓:ニッポン再生には 国民ひとりひとりがそれぞれの道のプロになればよい。
    ただそれだけである。
8
2004年の歩き方
  ◇早いもので2004年も2月の中旬を過ぎました。 
 このtmp−HPも2年目です。月日を追うごとにご訪問下さる方が増えている様子です。ありがとうございます。 ところで、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?私はと言えば、多くの方々の後押しをいただきSP製作と同時に再び楽器の製作を行っています。
 以前と違うところはプロ・ミュージシャンやメーカーさん専門の製作や開発など、オーダーによる製作は行わずに自分の思うがままに楽器を製作している点です。手にした木材をじっくり観察(目で見るだけでなく触って感じとること)し、その木がどんな楽器に成りたがっているかを感じ取ります。そこから設定を考えていきます。そこから数ヶ月かけて完成させていく作業です。これが実に楽しいのです。30年近く楽器製作を行ってきた私ですが、こんなに楽しい時を味わえたのは初めてのような気がします。木の性質を感じ取り思うがままに完成させていくことが出来るようになって、どのくらいの時間が経過したのかはよく判りませんが、せっかく思い描いたサウンドを生み出すノウハウを身につけながら、気づいたら仕事として誰かの要望によって製作することばかりで自分の思うがままの製作は殆ど行えませんでした。
 でも今は違うのです。それはそれは 実に、楽しいのです。
 おかしなもので、以前にもスピーカー製作の関係のところで「スピーカー達に作らされているような気がする」的な表現をしたと思いますが、こと天然木が主人公の楽器製作はまさに主役の「木」が「こんな楽器にしてほしいな」と語りかけてくる感じが強くします。二度と同じ木など存在しませんから彼らの要求もその都度様々です。木の根っこに近くて辺材(木の皮側の部分)に近い木は張りのあるレスポンスに優れた特徴の楽器に適します。その中心に近い心材周辺の木は「ガツン!」と腰の強い特徴を生かした楽器にしてあげたくなります。その少し高い位置の木は腰も強めですが根っこに近い部分よりもふくよかさが増すために倍音情報も豊かに成っていきます。更にその上の部分は緻密な倍音は出やすくなりますが「ガツン!」と言う腰の強さは薄まります。木の根っこに近い部分は自重を支えながら成長した部分ですから木の上部を支え続けた力強さを備えておりますが、密度が高すぎてふくよかさに欠けます。また生息地が山のどの位置だったかなど、太陽の軌道に対してどんなロケーションであったかとか、また生息する森の風の通り道に沿いに生えていた木か、反対に森の深くに生えていた為に風の影響を受けなかった木では同じ材種であっても環境の違いから性質はかなり異なっています。
 その上で先に書いたような1本の木であっても、そのどの部分の木なのかでの性質の違いがあるのです。
 ところで、こんな話読んでて面白いですか?少しでもこんな話にも興味をもっていただけたら嬉しいんですけど・・。と申しますのも今の世の中、必要以上に楽器が溢れんばかりになっているからです。そして残念ながら多くの楽器の素材が自然のものでありながら単なる物の如く値段に応じて人から人の手にと渡り歩いていたり(それならまだましですが・・)誰にも手に触れられずに楽器屋さんの壁にずーっと吊されたまま何年も経っていたりと様々ですが、こんなに作る必要があるの?って誰しも思うほどに存在しています。そして楽器としてあまりに未熟な作りしかして貰えず、すぐに飽きられて部屋の片隅でしょぼくれてる楽器達も実に多いのです。しかし、様々な形にされた楽器達ですが、実は人間の我々より遙かに年長者なのです。通常それなりのレベルの楽器には70〜80年はかかって成長した木材が使われています。
 私が製作に使う木などは1世紀を越えているものもあります。ですから単に楽器として楽器に接するだけでなく素材となった自然の恵みに尊敬や感謝の念をもって接して頂けたらと思うのです。そんな思いから少しでもそう感じて頂けるような話が出来たらと、まあ そんな思いで綴る、話の続きです。
 
 同じ種類の木であっても育った環境やどの部分かの特性差で性質は異なると言う話ですが、例えば季節によって風の吹き付ける向きや強さが異なったりするわけでして、その風の影響を受ける場所で育った木は風の影響でスクスク育つという訳には参りません。風の強弱で体をくねらす羽目に遭ったりユサユサ揺すられたりして木自体がねじられる状態で育つために木目も素直な目にはならず山の等高線のようにくねくねした木目になります。その上にその木が森の全面(森の手前側)に生えた木ですと太陽の軌道上(東西間)太陽の光の恩恵を受けて育つものですから、一種の栄養過多状態となり成長が早く木目は一層うねうねした木目になり特にその木の表皮に面した木目はうじゃうじゃした「斑」が出やすくなります。
  日本人はけっこう木目に拘る方が多く、このようなフィガード材も好まれるのですが、このような材は状態も安定しにくく音の震動伝搬も拡散する傾向のために楽器にはまったく不向きな材なのです。
 同じ斑であってもバイオリンのバック材のメイプルのように整ったトラ目はこのような環境下では出ません。少し森の奥まった風の影響を受けず、生えている木と木の間隔が少し広めで太陽光にも恵まれ、かつ土壌成分がアルカリ質の場所で、じっくり時間をかけて生育した特定の木にしか「良質なトラ目材」は出ないのです。しかもそんな恵まれた条件下で育った木であっても木の中心部分と皮の辺材部分は使えません。その心材と辺材の間に位置する部分だけに出た均一なトラ目だけが良質材なのです。しかもバイオリンなど非常に小さな楽器であっても2枚の木を真ん中で接いでいるのは限られた部分の板を2枚に割って本を開いたように接ぎ合わせて1枚の左右が均一な材とするためです。その上で微妙な形状加工により、あの絶妙なる響きを生み出しているのです。ですから日本人の中に一枚板が最上だと考えている方が多いのですが本当に極上なのはセンターブックマッチの2ピース単板です。一枚板は材木の心材や辺材部分が含まれ易いために左右の特性バランスが悪いたので私はソリッド構造のエレキギターにすら極力使用しない程です。
  こんな話を全部してますと分厚い本になってしまいますし、あまり専門的な話になってもアレですのでこれくらいでやめておきますが、皆さんには知識・うんちくとして知って欲しいのではなくて、木と言うものがあくまで人間の生涯の長さを越えた時間を経て自然が生み出した産物であり、人間と同じでふたつと同じものが無いと言うことを認識して、もっともっと大切にして頂きたいと願うからです。私も天然木を使用する以上は技と心を駆使して、切り倒された木に新たな形と命を与えてあげたいと思っております。
  
 最後に、みなさんに質問ですが、みなさんは木が切り倒されたばかりの光景を目にしたことはお有りですか? 私は以前にたいへん不思議な体験をしたことがあります。それはまだこの仕事に就いて日が浅い「若造」の頃の事です。
 ある日、私はある山に楽器に使用する材の伐採に出かけました。そしてその山林一帯の伐採の認可を受けている方がチェーンソウでハンノキ(用材ではアルダー材に該当)を切り倒す現場に立ち会いました。けたたましい音を起てて木がチェーンソウで切り倒され、私は残った切り株の部分を見ていました。その先にはたった今切り離されたばかりの木材が向こう側に倒れ、切り口だけがこちらを向いています。そしてまだ切り株の上面から切り倒されたにも拘わらず土中から吸い上げられた水がドクドクと切り口の表面に広がり、それがキラキラと日の光を反射していました。 まるで人間の血みたいだ・・そう思いながらぼんやり突っ立っていた私でしたが、その直後「はっ!」と、木が生き物であることを生まれて初めて実感したのです。そしてその瞬間、一瞬だとは思うのですが耳が「キ〜ン〜・・」として突然周囲の音が全く聞こえなくなったのです。足元の切り株からはまだ水が音もなく滲んでいます。
 その時でした 「頼んだよ」 そう誰かに耳元で言われた気がしたのです。
 辺りを見回しても自分のそばには誰もいません。伐採の人は何メートルも離れた先で次に切り倒す木を物色しています。しかし確かに聞いたのです。聞こえたのはご老人、おじいさんの声だったと今でも記憶しています。
 「あのおじいさんの声って・・」「頼むって、いったい何を・・」あのあと何度となくひとりで考えていた自分を想い出します。 今では何となくあの言葉の意味が掴めてきたような気がしています。
                 おじいさん、ありがとう。
9
たまには楽器にまつわる話でもしましょうか・・
  ◇まず、私が楽器製作を再開したことを喜んでくださる方々が大勢いらっしゃることに感謝致します。地方の方々からも「ゆくゆく楽器を入手したいのですが・・」「オーダーを受けて貰えますか?」とお問い合わせを頂いております。現在はオーダーメイド製作は行っておりませんので製作中もしくは製作予定の楽器のインフォメーションをお伝え致しております。(お問い合わせはお気軽にどーぞ!)
 今回は楽器について楽器製作のプロの方々ですら認識が薄い、しかも非常に重要な点についてお話をしてみようと思います。前回の講座で木について少しお話しさせていただきましたが、あの手の話を本格的に書いたら分厚い百科事典くらいの本になってしまいますのであえて致しませんが、楽器をプレイされている方々やプロではないけど楽器が大好きな方々にはたぶん興味深い話になるだろうと思います。

本題:

 現代音楽の基礎は古典のクラッシック、そして50年代以降盛んになったジャズやロック、ポップスが80年代に架けて完成されたものと言えると思います。特に50年から70年までの間には現代音楽のルーツが生まれた重要な期間であり、現在も主要的な役割を果たす楽器たちもその間に誕生したものが殆どです。
 皆さんの大好きなストラトキャスター、テレキャスター、レスポールや335、そしてジャズベースもプレッションベースなども皆この時期に誕生しています。そして当時のミュージシャンに広く愛され、それらの楽器で多くの音楽が誕生し今日も高い支持を得ております。
  そうして非常にポピュラーな楽器となったギターやベース達ですが現在とは大きく異なる点があります。それは弦のゲージです。基本的に弦楽器ですからスチールであったりナイロンであったりと弦の素材の違いこそあれ、とにかく必ず弦が張られて演奏されるモノ達です。その弦も誕生当時には今で言うヘビーゲージと呼ばれる太い弦しか存在せず、現代の様にチョーキングなどのベンド奏法は行われず、ベースでもスラップ奏法も行われておりませんでしたので図太いフラットワウンドが主流でした。そして楽器もそれらの弦を張られることを前提に設計製作されたモノなのです。
 皆さんのお馴染みの楽器達を車に例えるなら、その車達は最低このサイズのタイヤを履かせた時に基本性能が引き出されるように設計されていると言う事です。レーシングカーにカローラに標準装備されてるのと同じノーマルタイヤを履かせてレースするドライバーっていませんでしょ?それじゃあ車の性能が出るはずがないからです。
 もっと具体的に言うなら今現在主流の弦である細めのゲージでは定番楽器達には役不足であり本体がそれらの弦では鳴りきらず逆に鳴りきれない木部が弦振動を吸収してしまうために音の線は細くなり特にバンドアンサンブルの中では埋もれてしまうのです。弦高設定が低すぎる楽器も同じです。弦高が低いと振幅する弦がすぐにフレットや指板に当たってしまう為にダイナミクスは出ないわ、音はつぶれやすいわ、折角天然木を使用して作られた楽器なのに弦振動が途中で止められてしまうために材や作りの良さが生かされないのです。「音が抜けないんです」って悩まれている方がプロでも多いのですが、まずは太めの弦でしっかりと弾いてあげてください。ゲージが太くなればそれだけ木部は振動反応が良くなりますし、弾き手の弦を押さえるグリップや弦を弾くタイミングバランスがジャストでなければ鳴りませんから正確に弾く訓練にもなります。また往年のプレイヤーはかつてアコースティックギターをプレイしていた方が多いので太い弦での左右の手のバランスやタイミング感が鍛えられているために細めの弦をゆとりで鳴らすテクニックを備えています。細いエレキ弦でしか弾いたことの無い方が太いゲージのアコースティックギターを弾くと全く音はぬけずにか細い音になってしまうのも左右の手が弦自体に負けてしまっている為です。
 作られて半世紀も経ったオールド楽器は以前に太いゲージを張られて弾かれていた上に木部が経年変化で枯れきった状態の為に細めの弦を張っても木部が反応し易いために新しい同じモデルよりも「良く鳴る」と言われるのです。塗装一つとってみても最近のポリウレタン塗装ではかつてのラッカー塗装と比較して木部に張り付いている塗料の量自体が10倍近く多いのです。ですから決してオールドだからいいのではなくてそれらは木部の弦振動反応が良いのです。
 ですから昔のままの設計の楽器であるなら弦は012〜056位のセットでなければ楽器全体が鳴りきることは不可能なのですから実際に張られる弦が設計当時よりもずっと細い弦なのに木部の質量設定が昔の設計のままであることがそもそも無理があるのです。これはメーカー側の研究不足な点でもありますが、メーカーサイドでは昔の設計に忠実でないと製品が売れないと言う現状があり、そこが設計変更が出来ない理由でもあります。
 現在、我がtmpの定番モデル達に関しましては、スタイル的に定番モデルのテイストを備えさせてはおりますが、実際にはオリジナルとはデザインも変更されておりますし、ボディ厚、ヘッド厚も、ピックアップ設定とロケーション設定、そして張力バランス自体もヘビーゲージを張らなくてもしっかりレスポンスするように再設計されたものです。塗装も1ヶ月半以上もかけてラッカーの薄吹きを繰り返し更にクンエン処理による塗膜乾燥を行い必要最低限の塗膜厚で仕上げております。そしてそれに伴ったピックアップや配線材まで全てがオリジナルです。これはそこまでしないと市販パーツのクオリティでは全体がバランスしない為に結果的に備わった仕様です。わたくしは弾き手の技量がそのまま音に出る楽器こそが良い楽器だと考えておりますので、お陰様で一部のプレイヤーからは「マツシタの作った楽器はシロウトには弾きこなせる代物じゃない」とお褒めの言葉+何とも言えない「びみょーなる評価」を頂いております。わはは。
 もう一度最後に 今回のお話のポイントをお伝えするためにあえて極論的な言い方でふたつ申します。「定番楽器やそれと同じ設計の楽器に細い弦を張ることはフェラーリにカローラのタイヤを履かせているようなものである」「自分に合った楽器を探すのではなく自分が弾きたい楽器に自分を合わせるべきです」
10
ある技術屋の憂鬱と願い
   度々、質問を受けるサークルフレッティングと55Hzの話を今一度させて頂きますね。

私が考案したサークル・フレッティングも数多くの内外のミュージシャンのギターを手掛け、その楽器が大音量で鳴らされるステージを数え切れないくらい経験したからこそ、よりその必要性の大きさを感じています。

あまりその意味を理解していない方の為にあらためて説明致しますと・・
従来のフレッティングでは少なくとも指板のど真ん中だけがスケール設定通りのピッチが得られるだけですが、そこには弦は存在していません。
なぜなら6弦ギターは全てヘッド方向からボディのブリッジに向けて扇状に弦が張られているからです。それに対してフレットは単に平行に設定されているに過ぎません。指板の中心の両サイドの3弦と4弦もそれぞれ斜めに弦が張られていますから結果、指板のセンターに設定されたフレッティングのピッチ上には弦は存在せず、1弦と6弦、2弦と5弦、3弦と4弦という3つの長さの異なる弦長に分かれてしまっているわけです。
その結果、3種の弦ピッチ+センター・フレッティングピッチの4種のスケールピッチが混在する形が16世紀にギターやその他のフレット付きの弦楽器が誕生して以来、誰にも改良されることなく続いて来たわけです。

指板上にフレット設定されたお陰で比較的楽に演奏をマスターできるメリットがあり、特にギター系は爆発的に世界中に普及したわけですが、同時にフレットが在るが故に強制的に設定されたピッチに決められてしまう訳です。
6弦ギターでは4種類ものスケールが混在している従来の構造では微妙なスケール差によって和音に不協を生じさせ、弦の響きを互いに殺し合ってしまうと言う結果を招いてしまっているのです。
 
解りやすい例で例えるなら:
スポーツの砲丸投げや槍投げなどの投てき競技を思い出して下さい。競技者が定点サークルから何メートル投げたか、扇状にラインが引かれていますから投げた角度がズレても正しい飛距離が判るわけです。あれといっしょです。
従来のフレッティングではあの線が平行に引かれてしまっている為に投げた角度によって実際の飛距離とズレが出てしまうのです。これが従来のギターなどの平行フレット設定では、例えば同じ1フレット上であっても斜めに張られた弦はそれぞれ異なる長さで1フレットに接しているわけです。この問題が何世紀もの間、未解決であった訳です。
 それに対して、サークル・フレッティングはたったひとつのスケール上に全ての弦が同じ条件下で設定可能な「この世で唯一の設定方法」なのです。
 
だからこそサークルフレッティングが「フレット付き弦楽器の革命」と評されているのです。ちなみに、現在フレット付きの弦楽器は世界中で年間300万本以上生産され続けています。

 サークル・フレッティングでは、どんな大音量で増幅されても各弦の振動は和音構成上に成り立ちますから1音1音が互いにつぶし合わず、コンサートでも大音量=大迫力サウンドが成り立つのです。サークルフレッティングだけがテンションコードでの和音が立体的に響くのもその理由です。

私がよく経験した大ホールや球場コンサートなどのロックコンサートではおよそ800W前後の出力でギターサウンドがPAスピーカーから出ています。
近くでは着ている服が風圧で波打ちますし、勿論肉体にもダイレクトに音圧を感じる音量です。その音量でピッチが統一されていないフレッティングのギターやベースのサウンドは音だけはデカイですが音程感は音量が上がるほど失われています。せっかくの迫力あるサウンドも音がぶつかり合いつぶし合いますから一塊りのデカイだけの音になってしまうのです。
 皆さんも大きなコンサートに行くと音がデカイだけで早弾きなんかされても音がグシャグシャにしか聞こえなくて何をどうプレイしたか、よく分からなかった、と言う経験がお有りかと思います。あの根本原因のひとつはギター族のピッチの悪さと、それともうひとつ、電源周波数の問題なのです。
現状の50Hzや60Hzの電源では音楽の基音が440Hz〜数ヘルツ内であるが故にフイルムで言うところのコマ割に当てはまりきれないのです。
50Hzで言うなら、1秒間に50コマに分かれて情報が分かれている訳ですが、音楽的な情報は440Hzの整数倍上の1/8で割り切れる1秒間に55のコマ割で無ければ情報を正しく受け渡しが出来ないのです。これと同様、60Hzも情報のズレが完全に起きてしまいます。まあ、言ってみれば写真のネガのフレーム上に画像がまたがってプリントされてしまっている状態です。これでは正しい情報が得られません。

 このサークルフレッティング理論と55Hz理論の話は20年以上も前から事あるたびに話して参りました。そしてサークル・フレッティングは国内では「フジゲン」さんに製造販売権をお譲りし国内向け製造が行われておりますし(サークル・フレッティング・システムのUSAパテントはまだ私自身が保有致しており現在その権利の譲渡先を探しております。法人でも個人でもお譲り致します。興味がお有りの方はご連絡を)
55Hz周波数変換器もtmpで製品化致しております。しかし現実は未だ世界中の音はズレたままです。少なくとも映像で例えるなら、ピンボケ写真ばかり見せられているという状況ですね。実にもったいない・・。
私たちが聴きたい音とは演奏者の感性と技量そのままの音です。
私が提唱していることは全てがその為に必要な事ばかりなのです。本来の正しい音程や音自体の再現性、理想的な木材の乾燥技術や設計製作のノウハウも本来こうあるべき姿の実現の為です。
 中でも私が一番重要と考えているのは55〜56Hzの電源周波数で世界中が統一されることです。それだけで世界中どこでも正しい音像で音楽が演奏され、録音再生が可能になるのです。実現したらそれがどれだけ素晴らしいことなのかがきっと初めて理解されるとことと思います。
ちなみに周波数に加えて電圧も力強い220V欲しいですねえ。
我が国の100Vって、本当に悲しいくらい非力な電圧なんです・・。

以上、一日も早く、より理想的な環境で音楽が演奏され、それを耳に出来る環境の実現を切に願う次第です。

最後に、私の文章が拙いために説明自体が分かりにくいかもしれません。
その場合はどうかご容赦ください。m(_ _)m
11
少年よ ギターを抱け! Shonenyo Gita-wo idake !
  今年は台風が頻繁に日本を襲ってきますね。天候不順が続くとtmpのお仕事は庭先で塗装や研磨作業を行っているために作業が中断されるケースが間々あります。
今日も小雨が時折降っていましたので塗装も木工加工もぜーんぶ中止!「うん、こんな時はあそこを覗きに行こう!」とばかり自宅工房から8キロ程離れた街にある中古のハードウェアばかりを扱っているショップに行くことにしました。
そのショップはパソコンやTV・ステレオ・カメラ・楽器etc.etc、とにかく何でも買い取ってくれる中古製品専門の販売店なのです。たまに中古のギターで出物も見つかるので定期的にショップに足を運ぶようにしているんです。(エレキは無視。アコースティックのみ)素材として使えると判断した楽器を買って、燻煙を含むtmpのカスタム・チューンナップを施してお小遣いの乏しい世のお父さんやサラリーマンでも10万円以下の販売価格でブリブリに鳴りまくるギターを提供しようと言うプランを密かに練っているからです。
(今後、チューンし終わったギターをHP上で紹介しますね)
で、本日も愛車でそのショップにマツシタ参上。私は作業着を着たままどこへでも出掛けてしまうのです。
店員さんの「いらっしゃいまっせ〜」の声に迎えられ真っ先に店の奥の楽器のコーナーへ・・
エレキは勿論、ガットギターやフォークギターの中古品が何本も展示されてます。その多くが1万円前後。
中にはマーチンやギブソンだってございます(が、たいして安くない)早速、チェック開始。
 「ふ〜む・・こりゃダメ」「うー・・これは酷すぎ」「むっ・・これは良い素材だな・・んっ、7万円!?た、高い!せいぜい3万だな・・」と、まあこんな感じで作業服姿の怪しいおじさんはブツブツ言いながらウロウロ物色吟味を続けていく訳です。
 勿論、よさそうな物は必ず弾いてチェックもするわけです。「ポロポロリ〜ン♪」するといつも間にか、私の横やら後ろでチロチロ横目目線を投げかけ耳をダンボ状態にしてる一人の高校生?もしかして中学生かなあ?が、居るのです。どーやら私のチェックが気になって仕方がない様子。でもまあ、気にせず「さすらいの怪しい旅人ギター・チェック」は続くのですが、突然さっきの少年が思い切った様に「あ、あのっ・・すみません!ぼ、僕これからギターを始めたいと思ってるんですが・・ギ、ギターを選んで貰えませんかっ?!」と、勇気を振り絞ったのが見え見えのうわずった口調で私に言いました。
 更に続けざま「よ、予算は7000円なんです・・」と少年は言いました。
私は「あ、そうなんだ。いいよ選んであげるよ」「予算は7000円なんだね。でもTAX込みでってことだよね?」って聞き直すと「は、はい。そうなんです・・」「2本だけ僕が買えるギターがあるんです」と棚に並んだギターの中から2本を指さしました。その2本は既に私がチェック済みの2本でした。私は心の中で「そうかそうか、さっきこのギターを弾いてた時に彼が近くでそわそわしてたのは、そんな訳があったんだ・・」と思い、更にその少年の「今日こそギター買うんだ!そして絶対に弾けるようになるんだ!」と言う純粋な思いがサーッと私の心に流れ込んで来たのでした。そして「懐かしいなあ〜オレも中学生の頃、近くの質屋さんの店先に吊されたガットギターが欲しくて何度も何度も学校帰りに立ち寄ったっけ・・」と懐かしい少年時代のギターに対する純粋な気持ちを久しぶりに思い起こしたのでした。
 私は彼の買える値段の2本のギターを彼の前で弾きながらもう一度チェックをしました。いつの間にかこの少年の為に一生懸命韓国製の名も知らぬギターをチェックしている自分に気づきました。そして2本の内の1本を指さして「こっちの方がいいね」と彼に伝えると「はっ、そうですか!じゃ、これにします」と、そのギターを手にとって暫く見つめていました。そして「あ、ありがとうございました!」とペコリと私に頭を下げて彼はレジカウンターに向かって歩き始めました。その時私は彼に勧めたギターより千円高い値段の付いた別のギターをホントは彼に買わせてあげたかったので(そのギターの方が1ランク上のコンディションのギターだったからです)彼を呼び止めようかどうしようか少し迷ったあげく、結局黙って彼の後ろ姿を見送ったのです。
 「オジサンが千円出してあげるから、こっちのギターにしたら?」って言ってあげたかったのです。
きっとあの7千円も、少ないお小遣いから少しずつ貯めたか、安いバイト代を一生懸命貯めて、今日彼はここに買いに来たに違いない、とそう思ったとたん、なぜか私は涙ぐみそうになってしまったのです。
「なんとか彼に少しでもいいギターを持たせてあげたい」と無性に思ってしまったのです。しかし「でも見知らぬオジサンから貰った千円を足して彼が自分で貯めた予算より少しだけ高いギターを買えたとしても、それは逆に彼の純粋な気持ちに対して失礼だ」と、そう私は考えてあえて声を掛けるのを止めました。
 大きなガラスの自動ドアが開いて、あの少年がケースも無い裸のままのギターを抱えて店を後にして行きました。「たくさん練習してきっと弾けるようになれよ!」と心の中で彼の後ろ姿に言いました。
「いつの日にか、キミがギターを弾きながら唄うのなら、あの日初めて買ったギターを選んでくれたオジサンに聴かせてくれよ!」
     ホントはおじさんはキミの様な純粋なギター弾きのために技術屋になったんだから。
 
少年よ!ギターをいだけ!永遠に
12 最初に最後を想う  05-07/23 記
  ◇最初に最後を想う、とは私の小学校時代の教頭先生が全校生徒の前でおしゃった言葉だったと記憶しています。実はこの言葉はこれまでの私の人生の節々に必ずと言っていいほど心に浮かび続けた言葉です。
特に私自身の生きるスタンス、ものの考え方や捉え方に非常に影響を与えてくれました。
そして現在50才にもなった私は訪ねてくる方々の中でも特に若い人達に「最初に最後を想う」「あてのない旅に出ちゃダメだよ」とよく話しています。今の日本人がどう見ても行き着く先を未設定のまま、あての無い旅に出てしまって結局進むべき道を見失っているような気がしてならないからです。これは全人類的に言えることなのかもしれませんが、実際には工房を訪れる方々とのごく個人的な会話の中でいつの間にかそんな話をしている自分がいます。
 たかだか楽器の工房でなんでそんなシリアスな話題になるの?って思われるでしょうが、具体的には楽器に関するtmpのモノの作り方をお客さんに説明する中でそんな話になってしまうのです。
例えば、お客様から実に良く出る質問のひとつで「オーダーで楽器は作っていただけないのですか?」と訪ねられます。私は結論からまずお答えしますので「オーダーで楽器は作りません」と、まずお伝えします。
その説明をしなくては失礼ですから「多くの場合、一般ユーザーの方からのオーダーしたい楽器と言うのは、あくまでその方のイメージであって実際の音楽的な必要性から成り立っていない場合が殆どなので作り手としてはあてのない場所に向かって旅して、そこに辿り着かせて欲しい、と言われているようなものなのですよ」と、簡単に言えばそう言った意味合いの説明を加えます。
 これが相手が例えばジェフ・ベックでしたら話は逆に簡単です。既に自分の音楽を支えてくれるメイン楽器を所有している彼があえてオーダーしたいと言うからには手持ちの楽器では得られない部分を求めているからに他なりません。しかも彼の音楽性やプレイスタイルはあまりにも有名ですので、こちらにも彼のイクイップメント・データが既にある訳です。ですから後は彼が新たに何を求めているかを掴みさえすれば、それをどう具体化すればよいかが読めるからです。要はその作業は「最初に最後が読めている」「目的地が分かった上での旅」となるので迷子にはなる可能性は低いのです。もし様々な要素判断からその目的地には辿り着けそうもない場所へ行って欲しいというオーダーの場合は前もって相手に伝えます。「ここまでは行けますが、これこれこう言う理由でそこまでは行けませんよ」と具体的に説明します。
 ちなみに、もしこれをお読みになっている方の中で自分のイメージする楽器をオーダーしたいと考えていらっしゃる方がいられたらアドバイスをひとつだけ申し上げます。オーダーをなさるなら、その内容を相談する相手は実際の製作担当者にすべきであることがまずひとつ。そして次は内容を伝えた時点で相手製作担当者に尋ねてみてください「今説明したことが具体的に把握していただけましたか?」そして「それを確実に形だけでなくて音に出来る自信はありますか?」と。 
 この質問に「それは作ってみなくちゃわかりませんよ」って返事が返ってきたら、そのオーダーで要求を満たされるのはせいぜい仕様構成やビジュアル面だけでサウンド面ではあまり期待しない方がいいでしょう。
 それはメーカーの設計や製作を行っている方々であっても認知レベルが一般人よりは高いと言った程度のものだからです。それ程、最終的に設定されたサウンドを作る前から確信持って「ほぼ間違いなくその音が出るように作ります」と言える技術者は少ないのです。その理由は単純です。経験データの不足です。それが出来る技術者には素材に触れただけでその素材を理解できますから求めるサウンドを満たせる素材かどうかがまず選別可能となります。また仮に同じストラトと言う定番モデルであっても各所の設定の違いでサウンドがどう変化するかを把握できている場合は目標とするサウンド得るための各所の微妙な設定がすぐ浮かびますが検証すべき体験を積んでいない技術者にはそれこそ「やってみて、出てきた音を聴いて初めてわかる」状態なのです。そんな具合ですから素人が多少知識をかじった程度で出来るようなオモチャ的な作業ではないんです。
 以前にも別な項目でお話ししたような気がしますが私自身の場合は、いつの間にか自分に備わった判別/判断能力には自分自身で気味悪ささえ感じています。素材に触れただけでその素材で構成できるサウンドのバリエーションが浮かびますし、要求されるサウンド設定が見えていれば素材に次々と触れていくだけで「これじゃない、これも違う、これ惜しいな・・あっ、これならいい」と言った具合に判断可能です。あとは考えてもいないのに勝手に体が作業を進めていくのです。ここはこう、そこはこう・・こんな具合に求める音さえ決まっていればあとは適した素材に適切な加工を施して形にしていくだけなんです。終わってみて音を出すと「うん、これでいい」と。実はその間、殆ど難しいことは考えてなんかいないのです。迷わず手が動き作業を淡々と進めていけるのです。そこがまるで誰かに操られているような気がしてちょっと気味悪かったりもするんです。
 まあ、このように実際にオーダーで楽器を作るという作業をドライブに例えるなら、目的地に関してお客さんとドライバーが同じ認識であることがまず重要です。その意味で一般の方々の多くの場合、演奏技術面で未熟さが多かったり、いろいろな楽器に触れてないことで経験データも少ないので(たぶん最低でも数百本〜千本程度、数触れてみないと分からないかもしれません)自分が思い描く楽器のイメージが本当は単なる具体性のないイメージだけであったり、仮にそのサウンドが得られる楽器を手にしても、そもそもそれを鳴らす力量が本人には無かったりするのが現実です。仮にジェフ・ベックの要望に対して製作する場合であればあくまでジェフベックが弾くことが前提で設定を施して行くわけです。当然、弦だってヘビーゲージを張ることが前提となります。ふにゃふにゃの09ゲージを張ってはベックが弾いても本来のダイナミックなサウンドは全く出ませんしベック自身も弾く気など起こらないことでしょう。
 ちなみに、第一多くの楽器の木部質量を考えた場合、09ゲージにその楽器全体を隅々まで鳴らし切るエネルギーは無いのですから細い弦を張ること自体不利なんです。細いゲージには、枯れ切って死にかけたヴィンテージ・ギターかスカスカな軽量材でコンパクトに設計されたギターしか振動させることは出来ないからです。指が痛いとか言う前に本当にダイナミックないい音を出したいのならその楽器にふさわしいゲージ弦でプレイ出来る自分になることが必要なんです。だって、クラッシックの世界でも女性のコントラバス奏者はあのバカでかい楽器に太い弦を張り弦高もかなりある状態で普通にプレイしてますよ!最終的に次元の高い演奏をしたいのであればそれを満たす条件をまず自分が呑む覚悟が前提なんです。仮に女性のコンバス奏者が指がキツイからって細い弦に張り替えて演奏しても彼女の演奏は観客に届きもしないでしょうし彼女に次の仕事は来ないでしょうね。まともな設定のコンバスを弾けない奏者などプロの現場では必要ないですから楽器に必要な条件を奏者はまず受けて立たなくてはいけないんです。要はどうあるべきか、そこに自分を持っていく作業ってことです。自分の夢を実現させるのもそれが実現出来るだけの実力をまず自分に備えさせることが本当の始まりってことですね。成功する可能性を自ら高めていく作業こそが夢に向かって歩んでいる姿ですから単にいい結果を望んでいてもそれは単に望んでいるだけに過ぎません。
 楽器のオーダーに関してもいっしょなんです。目的地が決まって初めてドライバーはその目的地に向けてスタート出来る訳ですからお客さんが勝手に描いた空想の世界の場所に行けといわれても困っちゃうわけです。もしどうしても自分のイメージする場所に行きたいのなら人など頼らずに自分自身で運転すべきです。現に私も尊敬はすれどギブソン/フェンダー社の定番楽器に満足できないからこそイメージした楽器を自分で作れるようになったに過ぎないんです。言ってみれば私の場合はお客さんの立場をまずやめちゃって自分が運転手になったんです。そして自分を目的地まで乗せて行った訳です。ですから本当は今の仕事は別にやりたかった仕事ではないんですよ。未だに私の夢は油絵の世界で自分だけの絵の世界を作り上げたい、と言うものです。
それもプロの絵描きになりたいと言うのではなく自分自身がほかの誰が描いた絵より感動できる絵を描いて、自分を感動させたいのです。他の人がその絵を観て感動してくれたら更に嬉しいと言うだけです。たぶん晩年は今の仕事は辞めてそれだけにエネルギーを費やすでしょうね。今からそのときが来るのを楽しみにしているんです。ですから今私がやっていることはあくまで単なる仕事としてですし、ただやる以上はいい仕事がしたいだけですね。
 話がそれがちで恐縮ですが、とにかく楽器のオーダーに関することでも安易に「いいですよ〜お受けしますよ!」とは決して言えないんですよ。お受けして完成したからお客さんに「これがそうです」って押しつけるのはフェアじゃない、と思うからです。現在 t.m.p ではあくまであらかじめ設定した基本的なモデルをカスタム仕様化すると言う限定された範疇でのみ製作を行っています。これが完成度の高い楽器を提供する一番現実的な方法だからなんです。
 どうしてもご自分の思い描く通りの仕様で楽器をどこかにオーダーされたいのなら、まずご自分自身で自分の求めている楽器はあくまで自分のイメージであって、結果的に仕様的に満たされたモノに仕上がっていたなら音がイマイチでもそれで満足しよう、と最初から覚悟を決めてオーダーされた方がいいでしょうね。なぜなら、誰もあなたのアタマの中でだけ作られた楽器の音は聴くことは出来ないからです。
 参考までにお話ししますが、以前メーカーのモニター・ミュージシャンの楽器製作に関わる仕事でミュージシャン本人が工場まで足を運び自分の目で木を選んでいる現場に幾度か立ち会いました。私にしてみれば「この人、いったい何を基準に専門家でもないのに材を選んでいるんだろう??」思うんですね。 で、様子を見てますと結局は材種と木目の好き嫌いで選んでいるんです。要はルックスだけなんですね。コンコンって木を叩いたりもしてますが様々な複合要素で成り立つ楽器の世界をただ弾けるからと言ってまだ四角い板材を叩いただけで分かりきれる筈などあり得ません。そんな作業を何百回と重ねた現場の人間にですら難しいんですからねえ。
プロのプレイヤーとメーカーとの間ですら、自分自身が関わった、自分で材も選別した、などその部分の自己満足感で製作が進行していくことが多いのです。メーカー側の担当者も「じゃ、これでいきますか」てな感じで進めちゃうんです。脇で見ていて「その材じゃ、その設定じゃ、あなたの言ってる音出せませんよ〜」っと思っても向こうから尋ねられない限り口出しはしないですね。要は結果を満たすための作業ではなくて自己満足を満たす為の作業になっちゃっている訳ですから。
 そんな経緯で製作された楽器はしばらく本人もご満悦でプレイされてる場合が多いですが、しばらくするといつの間にか元の楽器でプレイしていたりするんですね、これが。
「作ってみたけど、なんか違うんだよねー」って、そりゃそーでしょ、あなた楽器作りは素人だもの(-_-) 
自分であてもない旅に出ておいて目的地に着けないと運転手の責任だって。やれやれメーカーも可哀想にね。 でも大方そんなもんなんですよ。(海外の一流プレイヤーは違いますけどね)ですから私が直接担当した場合は要望だけ聞いて具体化は任せてくれる方の開発しかしないんです。だってそうでしょ?!目的地が本人のアタマの中にしか無い上にドライバーに「そこ右、次は左、その先をまっすぐ行けばオッケーだから」って言われて辿り着いた場所がここじゃないっ!って言われてもね〜 だから製作者としては自信を持って作業に取りかかれない仕事はしたくないんですよ。 だからってオーダー受けてくれなかった、って怒らないでくださいね。少なくとも私にとっては楽器製作はユーザーの所有欲を満たす作業じゃありません。お金出すから、って言われても t.m.p では単なるイメージやルックス主体の製作はお受けできませんので、申し訳ないのですが別なところに頼んでくださいませ。<(_ _)>
 人の人生にも当てはまると思うのですが、経験もあまり無いのにこうしよう、あーしよう、こーすればこうなる筈、ってイメージだけで判断したり見切り発車することって、有りません?
本当に目的地が見えていて段取りも組めて資金も調達出来ているなど成功する可能性が高い状況ならまだしも「自分は成功できるはず」って意欲だけで事を始めちゃった人っていますでしょ?同じ運命を生きる人などいないのに誰かの人生を参考にしたり真似てみたり・・事業を自分の器を越えて発展させて苦しい状況に陥ったり、手持ちにお金もないのにローンで高級マンションを購入して結果的に息詰まってしまった人とか、わたくしもそんな方々を見てきましたし、自分自身でも未熟さから行き詰まりを経験する羽目になったこともありました。それでも、あれもいい経験だったから!って言える範疇のことでしたらまだいいんですが、ただただ迷走を続ける人生では孤独で辛いでしょうに・・もっと自分に力を付けて目標に到達できる可能性が高まった時点、環境も整った状況で事を進めることも出来たのでは?と思います。特に出来る限り若いうちに成功したい人って多い様ですが、焦ることなく年齢や経験を重ねるごとに人生が充実してゆくのが一番だと思います。現にわたくし50才になった今の方が過去のいつよりもず〜っと毎日が楽しくて充実してますよ(^o^)
 膝小僧擦りむく程度のコケ方ならいいんですが多くの人に影響が出る立場にある方は特に責任重大ですからね。自分が見切り発車してないか、軌道修正すべきなのに惰性で進んでいないかなど、いつも最後に後悔の残らない日々の歩みを心がけたいですよね。だって自分の車が目的地に辿り着けるだけのガソリンが入っているかどうかも知らずにあても無い旅に出た日にゃ、そりゃ立ち往生もするし迷いもしますよ。 
 だから人生って決して人を見ずに自分のペースでだんだん良くなっていくように歩むべき、って私は思いますね。ですから私は技術屋として今以上にいい仕事が出来るようになりたいからこそ、5年後にバイオリンの仕事も受けられるようにチャレンジしているんです。でも実際にバイオリンの仕事を将来受ける受けないが重要なのではなくて、受けられるだけの実力を付けた自分になることが目標だということです。実際にやってみて更にその先の自分が想像が出来ることはそれが出来る可能性が高いからです。
 たぶん5年後、今の自分に出来ない仕事が出来るようになった自分が私を待ってくれていると信じています。(^_^)
 
 「最初に最後を想う」 今も実に意味深く大切な言葉として私のこころに染みています。